野生のハムスターに関する先行文献 3

野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 山登魚
また長くなったので、新たにトピックを立てさせて頂きました。
今日は、イスラエル・アハロ二(Israel Aharoni)氏の『ゴールデンハムスター(Golden Hamster)』をネットで検索してみましたが、引用しか見つかりませんでした。 新知見ではありませんが、一応、スミソニアン博物館の記事を要約して紹介します。
引用:
1930年4月12日、幸運が訪れた。一連の会話を通じて、男たちは動物が目撃された農場を見つけた。アハロニと、彼の旅を手伝ったゲオリウス・カリル・タハンという地元の猟師、そして地元の首長が集めた数人は、農夫の後を追って彼の畑に向かった。タハンと何人かの村人たちは、若い緑の小麦の茎の上に積み上げられた土を狼狽して見つめている農夫を顧みず、興奮して熱心に掘り始めた。
彼らは8フィート(約2.3m)掘って、巣の中にいるハムスターを見つけた。ハムスターは金色で、毛皮で覆われていて、小さかった。アハロニは、若い母親と子どもを農場から連れ出し、エルサレムの彼の研究室に連れて帰ることにした。
麦畑では、母親が箱に入れられると、子どもを食べ始めた。アハロニは、母親が最も近くにいた子どもの頭を醜い残酷さで切断するのを見た。タハンは、母親がこれ以上子どもを食べないように、シアン化物の瓶に入れて殺した。母親を殺すことは、子どもだけで食べていくには小さ過ぎたため、軽率だったのかも知れない。11匹のハムスターは、エルサレムに戻った時には9匹となり、彼らの目はまだ閉じていた。
子どもたちはスポイト(のミルク)で育てられ、しばらくの間はうまくいっていたが、ある夜、5匹のハムスターが木製のケージを噛んで脱走し、そのまま見つからなかった。ハムスターの世話をしていたアハロニの同僚、ハイン・ベン・メナチェンは、この事件に圧倒された。
残った4匹のハムスターのうち、1匹のオスがメスを食べたので、メスが2匹、オスが1匹の、3匹だけになった。ベン・メナチェンは決意を固め、ハムスターが繁殖するための、干し草を敷き詰めた特別な部屋を作った。彼は部屋に1匹のメスを入れ、彼女が干し草の中に静かな場所を見つけた後、唯一のオスを引き合わせた。彼らによって150匹の子孫が生まれた。
また、マイケル・ロス・マーフィー(Michael R.Murphy)氏の寄稿「シリアゴールデンハムスターの捕獲と家畜化の歴史」が掲載されているハロルド I.シーゲル(Harold I.Siegel)編『ハムスター: 繁殖と行動(The Hamster: Reproduction and Behavior)』は、ネット上では閲覧フリーではありませんでした。
マルコム・ピーカー(Malcolm Peaker)氏(英国王立協会及びエジンバラ王立協会の研究員、グラスゴー大学ハンナ研究所の所長及び教授、ロンドン動物学会の副会長等)のブログで、マーフィー氏の寄稿が引用されていましたので、ひとまず以下に紹介します。
引用:
妻のジャネットと私は、自分の好奇心を満たし、比較研究のために野生のハムスターを手に入れるべく、1971年の5月から6月にかけて、シリアのアレッポへの偵察遠征を行った。全部で13匹の野生のハムスターが捕獲され、そのうち12匹(オス4匹とメス8匹)をアメリカに連れ帰った。
私がシリアで捕獲した動物の子孫は、メリーランド州ベセスダの国立衛生研究所のアンドリュー・ルイスによって維持されている。また、1978年、テキサス州ダラスのサウスウェスタン医科大学のビル・ダンカンは、生きた野生のハムスターの捕獲を行い、2匹のメスを米国に持ち帰った。
上記『ハムスター: 繁殖と行動』、及びマーフィー氏の探索旅行に随行した婦人(Janet E.Murphy)の紀行録”Hunting Wild Hamsters”は入手可能でしたので、2冊合わせて注文しました。海外からの発送で、いつ届くかは分かりませんが、到着し次第、コツコツと翻訳して行きたいと思います。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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引用:
母親がこれ以上子どもを食べないように、シアン化物の瓶に入れて殺した。
こういう発想をして実行してしまう人に、行動を正確に解析できるのかが疑問ですよね。
引用:
11匹のハムスターは、エルサレムに戻った時には9匹となり
野生個体の産仔数(産子数)が知りたいですけど、文献とかないでしょうか?
私が飼っていたゴールデンハムスター(キンクマ)で12匹でしたが、栄養状態が良くストレスも少ないはずのペットなのに、産子数が実験動物くらい(6匹程度)少ない理由が、カラーブリーディングだとは思うんですけどね。
「山登魚」さんの引用:
上記『ハムスター: 繁殖と行動』
こっちの話は、昔の飼育書にも引用されていました。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 山登魚
「管理者」さんの引用:
こういう発想をして実行してしまう人に、行動を正確に解析できるのかが疑問ですよね。
アハロニ氏は、ゴールデンハムスターの生態については知らなかったとしても、近縁の他種の動物には詳しかった筈ですから、母親が脅威を感じ、子食いした原因が自分たちにあることを教えて、タハン氏の行為を止めてもらいたかったです。
「管理者」さんの引用:
野生個体の産仔数(産子数)が知りたいですけど、文献とかないでしょうか?
今までに捕獲された野生のゴールデンハムスターのうち、1932年にアハロニ氏によって捕獲された12匹のうちの11匹と、1999年にガッターマン氏の研究チームによって捕獲された13匹のうち3匹が子ども(オス30g 、メス23g、メス29g)だった他、1匹のメス(114g)が妊娠しており、後に6匹の子どもを出産しています。
3匹の子どもは同じ1つの巣穴から見つかっていて、全長は900cm(発見された中で最大)、妊娠していたメスの巣穴は全長150cmでした。
野生のゴールデンハムスターのサンプル数自体が少ないのですが、1999年に捕獲された野生のメスは小さかったので子どもの数も少なく、管理者様が育てられたハムスターは大きいので、産仔数も多かったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
久和茂編『実験動物学 第2版』(朝倉書店2018年3月)によれば、実験室のゴールデンハムスターの産仔数は平均8匹(1〜15匹)なので、いずれもその範囲内ではあります。
先ほど"Hunting Wild Hamsters"が届きましたので、一読の上、また何か見つかりましたら報告します。なお、この著書はマーフィー氏とジャネット夫人の共著であった点を訂正します。
「管理者」さんの引用:
こっちの話は、昔の飼育書にも引用されていました。
日本語で引用されている書籍をお持ちでしたら、それが確実ですね。
私はついに昨日、独和辞典を購入し、隙間時間で独学も始めました。
自動翻訳で不自然な部分は手作業で確認・訂正していて、英語論文は何とか意味が通る程度には和訳できる(?)のですけど、ドイツ語論文が大変過ぎました。
これから大学で動物学を専攻される方は、私のような苦労をしないよう、はじめから第2外国語をドイツ語にすることをお勧めしたいです。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 管理者
「山登魚」さんの引用:
タハン氏の行為を止めてもらいたかったです。
獣医師は飼い主が噛まれて、ケガや病気になった責任がとれないため、飼い主が噛まれるような行動に対しては消極的ですが、野生動物の研究者も未知の病気に対して、獣医師以上に敏感なのかもね。当時から手袋くらいあっただろうけど。
飼い主の立場からすると、自分も噛まれて痛みを共有しろと言いますが。
「山登魚」さんの引用:
管理者様が育てられたハムスターは大きいので、産仔数も多かったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
わが家の個体は、栄養状態は良く、体が大きいから産子数も多いのは確かですが、実験動物用のペレットより、高カロリーのエサを主食にしているペットが、うちの個体より産子数が少ないのは、カラーブリーディングとストレスかな?とか思ってます。
野生動物だと環境の影響を受けやすいでしょうし、捕獲されたばかりの野生個体なら、栄養状態もストレスも悪いでしょうから、なかなか難しそうですね。
「山登魚」さんの引用:
自動翻訳で不自然な部分は手作業で確認・訂正していて
昔はスキャナー使ってOCRで読み込んで誤字を手作業で修正して、数種類の有料翻訳ソフト使い分けてました。
今はAIと無料ソフト使って短時間でできますが、今も昔も知識と時間がないと、正確に理解できないですもんね。
苦労は理解できます。ホント、ご苦労様です。
「山登魚」さんの引用:
はじめから第2外国語をドイツ語にすることをお勧めしたいです。
私は外国語を諦め、ハムスター語に専念しています。
最初は肉体言語(噛まれる)でしたが、体で覚えたことは無意識に反応できる様になってます。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 山登魚
「管理者」さんの引用:
野生動物の研究者も未知の病気に対して、獣医師以上に敏感なのかもね。
以前の引用で説明が足りなかったかも知れませんが、母親を殺したタハン氏は現地のガイドで、専門知識はありませんでした。
ジャネット E.マーフィー氏の著書には、ハムスターの捕獲用に仕掛けたシャーマントラップにハリネズミが掛かり、アレッポ大学の飼育係に届けたところ、すぐにホルマリンの入った瓶に入れて溺死させて衝撃を受けたという記述がありました。当時の現地のやり方としては、よくあることだったのかも知れません。
とはいえ、アハロニ氏もハムスターの生態について、かなり不正確な捉え方をしていたようです。これについては後述します。
「管理者」さんの引用:
実験動物用のペレットより、高カロリーのエサを主食にしているペットが、うちの個体より産子数が少ないのは、カラーブリーディングとストレスかな?とか思ってます。
マーフィー氏の論文を読むと、その予想は的確かも知れないと思いました。これについても後述します。
「管理者」さんの引用:
昔はスキャナー使ってOCRで読み込んで誤字を手作業で修正して、数種類の有料翻訳ソフト使い分けてました。
全く、昔のスキャナーも翻訳ソフトも、訂正するより自力でやったほうが早いレベルでした。
ジャンガリアン・キャンベル・ロボロフスキーハムスターに関する論文は、ラテン語、ドイツ語、ロシア語等、英語以外のものが多くて、AIの翻訳無しには、私のような素人には、とても到達できない世界だったと思います。
「管理者」さんの引用:
私は外国語を諦め、ハムスター語に専念しています。
ハムスター語、私もいつか習得したいです。先日、別トピックに上げられた新作の給水器スタンドの画像を拡大し、そこで初めてキラキラの目をしたジャンガリアンの子の存在に気付きました!
早速ピッタリの狭い空間を見つけて潜り込み、ご満悦な様に見えますが、合ってますでしょうか。
さて、本題に入る前に最初に訂正します。アハロニ氏が野生のハムスターを捕獲したのは1930年で、1932年は、その記録が書かれた年でした。
引用:
マイケル・R・マーフィー「シリアゴールデンハムスターの捕獲と家畜化の歴史」ハロルド・I・シーゲル編『ハムスター -繁殖と行動-』ラトガース大学心理学部・動物行動研究所 プレナム・プレス 1985年 p.3〜20
ゴールデンハムスターの発見と捕獲の歴史については、ソウル・アドラー氏やイスラエル・アハロニ氏の同僚から直接話を聞いたり、ご家族から写真を譲り受けたりしていて、ジミー・マッケイ氏の飼育書を含め、今まで見たどの情報よりも詳しく書かれていました。
アハロニ氏は、当時の同僚だったアドラー氏の要請に応じ、1930年の探検の際、ハムスターを探すことを決意しました。この活動の回顧録はヘブライ語で書かれていましたが、マーフィー氏は、このうちのハムスターの章を同僚に翻訳してもらい、一読した上で要約を紹介しています。
そのうち、前回触れられていなかった部分だけ、以下に紹介します。
引用:
アレッポ地方に到着すると、アハロニはシリア人のガイド、ゲオルギウス・カリル・タハンに、ある農場へ行き、地元の首長にゴールデンハムスターの居場所を尋ねるよう指示した。1930年4月12日、首長は会議を招集した。
会議では、ハムスターが生息するために選んだ最良の畑の一つで、この生き物を捕獲することが決定された。(中略)
母親が子どもの世話をし、乳を与えてくれるだろうと考えたゲオルギウスは、家族全員をコロニーボックスに入れた。しかし、彼の望みは叶わなかった…。母親(進化レベルが低い生き物だ)が心を閉ざし、最も近くにいた子ども(当時の子どもはそれぞれ2.5cm弱)の頭を(中略)。生まれながらの母性愛が、愛する子どもを殺させる原動力となった。
「呪われた人類の実験の餌食になるよりは、我が子が死ぬ方がましだ」と。
また、アハロニ氏が捕獲したハムスターのうち、最後に生き残った4匹について、アハロニ氏によれば、オス3匹とメス1匹としていて、ジミー・マッケイ氏の飼育書には「これとは矛盾する報告も存在する」とだけ書かれていましたが、マーフィー氏によれば、その矛盾する報告とはアドラー氏の論文(1948)のことで、そこではオス1匹とメス3匹が生き延び、メス1匹は後にオスに殺されたとされているとのことです。書籍や論文によってこのあたりの内容が異なっていたのは、アハロニ氏の記録がヘブライ語で書かれていて、原典に直接当たるのが難しかったことと、論拠が異なっていたからだということが分かりました。
さらに、回顧録には記されていませんが、アハロニ氏は母親と10匹の子ども以外にも多くのシリアハムスターを捕獲していたようで、1930年4月27日と29日に捕獲された3匹のメスの老齢標本が、ベルリン動物学博物館のコレクションに彼のものとして保管されているとのことです(これについてはマッケイ氏の飼育書やガッターマン氏の論文にも記載があります)。
老齢のメスだばかりだったので、繁殖はできなかったようです。
引用:
妻のジャネットと私は、1971年5月から6月にかけてシリアのアレッポへの偵察遠征を行った。
全部で13匹の野生ハムスターが捕獲され、そのうち12匹(オス4匹、メス8匹) をアメリカに連れ帰った 。
この経験から得られた観察結果は今言及する価値がある。私は、シリアのハムスターが実験動物となることに成功したのは、実験室での生活に非常によく適応したためだと考えている。私がシリアで捕獲した野生ハムスターは、わずか3日間扱っただけで、飼い慣らされて穏やかになった。全ての動物が捕獲後4週間以内に交尾し、8匹のメス全てが子孫を産んだ。平均の子どもの数は11匹で、観察や体重測定のために頻繁に邪魔されたにもかかわらず、全ての子どもが離乳まで育てられた。野生のシリアハムスターとその子孫を繁殖させてきた中で、繁殖能力や病気に問題を抱えたことは一度もない。しかし、対照的にトルコハムスターとルーマニアハムスターではかなりの苦労を経験し、最終的に両種のコロニーを失ってしまった。したがって、シリアハムスターはまさに奇跡的な実験動物であるというアハロニ氏の意見に賛同する傾向にある。
野生型はもともと実験室に非常に適していたため、特に行動に関しては、シリアハムスターは野生型からほとんど変化していないと考えている。
また、進化論の観点から見ると、希少で知られていないシリアハムスターは、実験動物となったことで大きな適応放散を遂げたとも言える。医学および行動学の研究が続けられる限り、たとえ野生では絶滅したとしても、実験室では絶滅することはないだろう。

いつも以上に長文です
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- 山登魚
引用:
ジャネット E.マーフィー『野生のハムスターの捕獲』サンフェイス・デザイン 2024年
上記の著書は、マイケル R.マーフィー氏と共に、イギリス・レバノン・シリアを訪れた際の詳細な旅行記で、滞在したホテルや料理、観光地、出会った人々との交流等、読んでいるこちらまで追体験できるような、いきいきとした内容でした。共著という体裁になっていますが、マイケル R.マーフィー氏が亡くなった(2018年)後に発行されており、文は全てジャネット E.マーフィー氏によるものだと思います。
ここでは空振りに終わった聞き取り調査や村の訪問、空だった罠の確認等(野ネズミやハリネズミ、トカゲやカエルが捕獲されたものも含む)の記述は省いて、ハムスターの捕獲や、それに繋がる内容だけ紹介します。
まずは、マイケル R.マーフィーとはどんな人物だったかについてです。
引用:
マサチューセッツ工科大学の心理学科大学院生だったマイケル・ロス・マーフィーの研究室にはハムスターがいました。
彼は神経解剖学を学び、ハムスターの脳の構造を解明する方法を学ぶ過程で、特に交尾行動と縄張り行動に興味を持ち、嗅覚がハムスターの行動に大きく依存していて、嗅覚がないと交尾も縄張りの防衛もしようとしないことを発見しました。
マイケルは、この動物の珍しい特徴は近親交配によるものではないかと仮説を立て、もしそうなら、野生のハムスターと実験室のハムスターを比較することが有益だと考えました。そこで彼は、シリアで野生のハムスターを捕獲するため、MIT心理学部とスローン財団から旅行の許可と資金を得ました。私はアシスタント兼写真家として同行することになりました。1970年の5月から6月にかけて、イスラエルとシリアの長引く戦争がちょうど終結したばかりでした。
次に、アレッポでの捕獲のための協力者についての記述です。マーフィー氏は、出立前から野生のハムスターについて情報を持っていそうな科学者たちと連絡を取り、現地で彼らと面会して話を聞いたり、資料を集めたりしていました。そのうち、レバノンのベイルート・アメリカン大学の研究者だったカシス兄弟の父親がアレッポにいて、彼の紹介により、日本人獣医師の折田氏や、シリア農業省計画局のバハディ氏の協力を得ることができました。
引用:
アレッポへに到着した5月22日に、私たちは婦人科医のイスカンデル・カシス博士に連絡を取り、カシス博士は私たちを、ジオ・オリタ博士に紹介してくれました。
折田博士は38歳の小柄な男性で、地元の農家や獣医師に対し、畜産の最善の方法を精力的に指導していました。(折田魏朗獣医師)
折田博士は、ハムスターの輸出に必要な書類を発行してくれるといい、私たちとカシス博士をファイエク・バハディ氏に会わせてくれました。
バハディ氏は農場訪問の手配や、農家との面談の際に通訳を務めてくれました。
折田博士とバハディ氏は私たちを農業省の農場まで連れて行ってくれました。そこで私たちは、村の近くの畑でハムスターを捕まえたという作業員に会いました。ハムスターはスイカの根や茎を食べているとのことです。
そして、いよいよ、クルド人の農夫アリ氏との出会いです。
引用:
バハディ氏の案内で、私たちは次にベニヤミーン村へと向かいました。
ベニヤミーンの村人たちはハムスターには慣れていましたが、見つけるのは難しいと言っていました。村からかなり離れた場所にある、使われていない畑で、アリ氏がハムスターの巣だと特定した穴がいくつか見つかりました。
翌日、別の村へ車で向かうと、アリ氏はハムスターの巣穴のある畑を見せてくれました。彼は穴の一つを掘り起こそうとさえしました。
検討の末、最終的に別の畑に罠を仕掛けることにしました。
私たちは村や農場、地元の人々を訪ね、ハムスターについて尋ねるという日課をこなすようになりました。
アリ氏は私たちをクバラという別の村に連れて行ってくれました。
農家の方々はいつも、ハムスターがよく見かける場所を教えてくれ、私たちは罠を仕掛け、ピーナッツバターを少量付けました。
5月28日、アリ氏が、逃げようとするハムスターに服の布を投げかけ、捕まえてくれました。彼は、ハムスターが灌漑用水路を渡ろうとしている時は、この方法の方がやりやすいと教えてくれました。
彼はそれを5ガロン(約12L)の空き缶に入れて、翌日、私たちが罠を確認するために戻った時に渡してくれました。
アリ氏はクバラでハムスターを捕まえ、次の村で私たちに会いに来ました。
マイケルはアリ氏にハムスターの代金と10シリア・リラ(約2.5ドル)、そしてアリ氏の協力に対する謝礼として25シリア・リラを支払いました。
マーフィー氏は、金属製の罠よりも生きたハムスターを捕まえる成果が上がるので、農家に支払うことにしました。毎日、彼らはいくつかの村を訪ね、ハムスターが捕獲されているかどうかを確認しました。
引用:
6月3日、折田医師の診療所に立ち寄ると、そこにはゼルベ出身の男性がいて、野生のハムスターを連れてきてくれました。20シリア・リラで買い取りました。ホテルに戻り、ハムスターを5ガロンの缶に入れたまま部屋に残しました。
その後、アリ氏に会いにブラフトに行きました。彼は私たちのためにハムスターを2匹捕まえていました。1匹は生きていて、もう1匹は死んでいました。
ある日、バハディ氏のオフィスに行くと、ベニヤミーンから持ち込まれたハムスターがいました。現地ではもう1匹ハムスターが見つかり、1匹につき20シリア・リラを支払いました。
6月14日の朝、私たちはアリ氏の農場へ別れの挨拶に行きました。帰り道、道沿いの村でハムスターを1匹捕まえたので、15シリア・リラを支払いました。
ホテルの部屋では、蓋を外した5ガロンのブリキ缶をいくつか用意し、ハムスターをそこに入れて飼育していましたが、アメリカにハムスターを輸送するため、マーフィー氏は2✕3の区画に分け、全体を覆える網戸付きの蓋と革製の持ち手を付けたスーツケースのようなものを2つ特注し、帰国の日を迎えました。
引用:
6月15日、折田博士に最後の別れを告げ、ハムスターの輸出に必要な正式な書類を受け取りました。
ハムスターたちをキャリーボックスに安全に収め、旅の途中で暑くなり過ぎないよう配慮しました。例えば、車の窓を開け放ち、車内に心地よい風が入るようにしました。
その後、レバノン国境を抜け、ベイルート・アメリカン大学の心理学部では、マイケルが動物を別々のケージに入れることができました。死んだ1匹の動物はホルムアルデヒドに漬けられました。
翌日、私たちはTWAとルフトハンザ航空のオフィスを訪れ、航空券を手配しました。マイケルは貨物担当者と話をし、ハムスターは専用の荷物室で輸送できることを確認しました。
ボストンへの帰路、ハムスターたちを2つの移動用ケージに慎重に入れました。ケージにはそれぞれリンゴのかけらと綿を敷き詰めました。13匹だったので、オス2匹で同じコンパートメントに入りました。チェックインの際、マイケルはハムスターの荷物室の安全性について再度尋ねました。人間の乗客と同じように、与圧と酸素供給が必要でした。
フランクフルトで乗り換えましたが、次の便の飛行機には与圧式の荷物室がなく、ハムスターの箱をファーストクラスの最後尾の座席の後ろに立てかけて置くことが許可されました。
ボストンに到着すると、12匹のハムスターはMITで規定の期間検疫隔離された後、心理学部の飼育施設で個別のプラスチックケージに入れられ、飼育されることになりました。
最後に、野生のハムスターのその後についての記述です。
引用:
これらの野生動物は飼育下で非常に人懐っこく、繁殖も容易でした。最初の6回の妊娠で61匹の子が生まれました。毎日観察され、邪魔をされていたにもかかわらず、母親は子どもたちを丁寧に育てました。これは、飼育下にあるハムスターでは必ずしも当てはまりません。彼は、これらの野生ハムスターは外見上は飼育下にあるハムスターと区別がつかないと指摘しました。
行動に関しては、飼育下にあるハムスターに見られる行動を全て示していました。いつものように、自分のケージにマーキングをし、機会があれば他のハムスターのケージにもマーキングをしていました。
彼らは美しい巣を作り、餌のペレットを蓄えてケージの片隅に積み上げ、別の隅をトイレとして使っていました。メスは正常な生殖行動、交尾行動、母性行動を示し、子どもは成長するにつれて互いに遊び始めました。
交尾の時、あるいは巣の中で母子が一緒にいる時以外は、ハムスター同士は互いに寛容ではなく、攻撃し、激しく争っていました。
野生のハムスターたちを唯一際立たせていたのは、「完璧なハムスター」だったことです。
マイケルはこう指摘しました。「彼らの自然な行動は全て調和がとれていた。
飼育下にあるハムスターから自然な行動の一部を引き出すことは可能だが、野生で捕獲したハムスターほど聡明なハムスターは滅多にいない」。
博士号を取得後、 夫は1972年に、ワシントンD.C.にあるスミソニアン協会国立動物園研究部の博士研究員として研究に携わりました。夫は1971年に野生捕獲された動物の子孫のコロニーをそこに移し、進化行動に関する研究を行いました。
1974年には、そのコロニーをメリーランド州にある国立衛生研究所(NIH)に移し、その一部は行動神経科学と行動薬理学の研究に使用しました。
1982年、私たちがMITを去ってテキサスに引っ越した後、コロニーはウィリアム・ニクソン博士によって維持され、近親交配の影響や免疫学に関する研究のために標本を提供しました。
このコロニーが現在も維持されているかどうかは不明ですが、1985年にはアンドリュー・ルイス氏がNIHでマーフィー系統のハムスターを維持していました。
スミソニアン及び国立衛生研究所から、マーフィー氏や野生のハムスターに関する情報が得られたのは、縁があったからだということが分かりました。また、本書ではマーフィー氏の論文がいくつか挙げられていたので、そこからも何か分かるかも知れないと思いました。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 管理者
「山登魚」さんの引用:
そこで初めてキラキラの目をしたジャンガリアンの子の存在に気付きました!
スタンドを作っている最中のオヤツくれくれコールは無視していたんですが、作り終わりケージから出すと、スタンドよりオヤツなので、私に向かって仁王立ちでした。
それでは撮影どころか邪魔にしかならないので、無理やりスタンドの下に詰め込んだら、中で方向転換したり匂いを嗅いだり3分くらい確認していましたね。その時の写真です。
作ったスタンドは、写真のジャンガリアンのケージに使っているのですが、給水器スタンドの下のスペースは、エサ場の近くの安全な隠れ家になり、お気に入りのスペースな様で、何度も入っている姿を見ますね。
それと、くれくれコールを無視していたら、スタンドに八つ当たりして位置がずれてました。
引用:
「呪われた人類の実験の餌食になるよりは、我が子が死ぬ方がましだ」と。
実験の道具として扱うのか、目標を達成するために必要なパートナーとして扱うのかの違いで、ハムスターの安心感も違いますよね。
引用:
私がシリアで捕獲した野生ハムスターは、わずか3日間扱っただけで、飼い慣らされて穏やかになった。
研究者が思う「慣れる」の程度は分からないですが、懐きやすいのは、ハムスターは頭が良いので、すぐに損得の判断ができるということですね。
引用:
平均の子どもの数は11匹で、観察や体重測定のために頻繁に邪魔されたにもかかわらず、全ての子どもが離乳まで育てられた。
ハムスターを繁殖に興味がある人。ここ重要。
引用:
これらの野生動物は飼育下で非常に人懐っこく、繁殖も容易でした。
野生動物でも、人間に近い所に住んでいる個体は、人間をあまり怖がらないのかもしれないですね。逆に人間の怖さを知らないのかもしれないですけど。
そう考えると、地球上には人間が完全に干渉できない場所はないわけで、完全な野生動物は存在しないのかもしれないですね。
引用:
飼育下にあるハムスターから自然な行動の一部を引き出すことは可能だが、野生で捕獲したハムスターほど聡明なハムスターは滅多にいない
何が違うのか気になります。
とはいっても、実験動物でもペットでも、野生の環境を再現するのは難しいと思いますが。

Re: 野生のハムスターに関する先行文献 3
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- 名前
- 山登魚
「管理者」さんの引用:
無理やりスタンドの下に詰め込んだら、中で方向転換したり匂いを嗅いだり3分くらい確認していましたね。その時の写真です。
作ったスタンドは、写真のジャンガリアンのケージに使っているのですが、給水器スタンドの下のスペースは、エサ場の近くの安全な隠れ家になり、お気に入りのスペースな様で、何度も入っている姿を見ますね。
それと、くれくれコールを無視していたら、スタンドに八つ当たりして位置がずれてました。
あの表情は偵察モードでしたか。
エサ場までのルート上に身を隠せる場所が増えて、さらに安心して暮らせるケージになりましたね。
オヤツをもらいたい意思表示を汲んでもらえず、暴れるところが相変わらずこの子らしいなと思いました。
「管理者」さんの引用:
実験の道具として扱うのか、目標を達成するために必要なパートナーとして扱うのかの違いで、ハムスターの安心感も違いますよね。
引用:
観察や体重測定のために頻繁に邪魔されたにもかかわらず、全ての子どもが離乳まで育てられた。
ペットのメスのハムスターは、子育て中は誰が相手でも非常に神経質なようですけど、野生のハムスターは、相手が危険か親和的かを察知して、巣を破壊したタハン氏やアハロニ氏に脅威を感じて子どもを食べたり、マーフィー氏の干渉を無視して子育てしたりしていたのでしょうか。もしそうだとすれば、犬や猫に近い賢さですね。
先日、野生のジャンガリアンハムスターに関する論文(「化学シグナル伝達に関する野外研究:ソビエト アジアにおけるドワーフハムスターの直接観察」)を読んでいたら、研究者の方が個体識別に名前を付けていました(ライサとバーバラ)。
ガッターマン氏のチームでは、野生のゴールデンハムスターの個体識別に数字を使用していて(昼間最も活動的だったメスは#308と#P20)、ちょっとしたことではありますけど、研究者の動物に対する姿勢も様々だなと思いました。
もっとも、私も以前飼っていたネズミの名前は、色々考えた末ネズミのままで定着してしまい、動物病院で名前を呼ばれた時、恥ずかしかったです。
「管理者」さんの引用:
懐きやすいのは、ハムスターは頭が良いので、すぐに損得の判断ができるということですね。
別トピックに挙げた論文の中に、ゴールデンハムスターが実験前に受けた訓練について記載があったのですけど、給水器から水を飲める仕組みが段階ごとに変わっていってもすぐに慣れて、光や音の信号を理解して行動する訓練で、短期間のうちに90%以上の正答率に達していました(100%の個体もいたとのことです)。
犬やミニブタ、サル等と比べて飼育スペースを取らず、繁殖が計画的にでき、頭が良くて懐きやすいからこそ、実験動物にも向いていたんですね。
「管理者」さんの引用:
野生動物でも、人間に近い所に住んでいる個体は、人間をあまり怖がらないのかもしれないですね。逆に人間の怖さを知らないのかもしれないですけど。
山に行くと、たまにクマやサル、カモシカ等を遠くに見つけることがあって、人間を恐れて距離をとってもらわないと、こちらが怖いです。
「管理者」さんの引用:
何が違うのか気になります。
同感です。野生のハムスターの生態に関する情報は貴重なのに、そのあたりをバッサリとカットされていて残念です。マーフィー氏の他の論文も可能であれば読んでみたいです。
現在出版されている書籍は、ネット上で閲覧することが難しく、個人で購入して翻訳するものは精選する必要があります。
論文も一般公開されているものと、学術機関を通じたアクセスを要するものがあります(年間契約するのに何十万円か掛かります)。
自分の母校は動物学研究にあまり力を入れていないので、次に大学に行った時、どこまで調べられるか分からないです。学生の皆さんには、ぜひ動物学研究の盛んな大学に進学して、フィードバックをお願いしたいです。